読書の友は珈琲とチョコレート

本屋さんか図書館まわりで生きています。文学館にいることもあります。

ブックトーク テーマ 「おわかれ」

  3月はお別れの季節です。遠距離恋愛になる人、就職する人、多くの人が人生の転換期を迎えているはず。「おわかれ」をテーマにした本には、読んだ後に前向きな気持ちにさせてくれるものや、別れの悲しみを共有できるものがたくさんあります。


1『厄除け詩集』 (講談社文芸文庫) 井伏鱒二/著

ですが今日、ご紹介するのは『山椒魚』『黒い雨』のどちらでもありません。
「さよならだけが人生だ」という一説を聞いたことはありますか?
中国の、于武陵(うぶりょう)の詩「勧酒」(かんしゅ)につけた井伏鱒二の訳です。  

  勧 酒  

   勧君金屈

  満酌不須辞         

  花発多風雨      

  人生足別離         

 

  井伏鱒二の訳
  コノサカヅキヲ受ケテクレ 
 ドウゾナミナミツガシテオクレ 
 ハナニアラシノタトヘモアルゾ 
「サヨナラ」ダケガ人生ダ 

 

実はこの漢詩を翻訳するのときに、元ネタとなる出来事があったそうです。

 

2 井伏鱒二全集〈第20巻〉所収『因島半歳記』 井伏鱒二/著

やがて島に左様ならして帰るとき、林さんを見送る人や私を見送る人が十人足らず岸壁に来て、その人たちは船が出発の汽笛を鳴らすと「左様なら左様なら」と手を振つた。林さんも頻りに手を振つてゐたが、いきなり船室に駆けこんで、「人生は左様ならだけね」と云ふと同時に泣き伏した。そのせりふと云ひ挙動と云ひ、見てゐて照れくさくなつて来た。何とも嫌だと思つた。しかし後になつて私は于武陵「勧酒」といふ漢詩を訳す際、「人生足別離」を「サヨナラダケガ人生ダ」と和訳した。無論、林さんのせりふを意識してゐたわけである。

                          (『因島半歳記』より)

 数ページの短い話なので、読んでみてください。この話を読むと、林さん、ちょっと芝居がかった感じだったのかしら、井伏さんはそれをみて「何とも嫌だ」と思ったのかしら、とその場面に自分が居合わせたような気持になります。いやだなと思いながら、漢詩の訳に用い、後世には名訳としてのこったのが何とも言えず面白いです。

 

 ところで、「さよならだけが人生だ」ときいて、あれ?寺山修司の作品じゃないの?と思った人がいるかもしれません。寺山修司は井伏の訳したこのフレーズを用いて、複数の詩を残しています。

 

3『寺山修司詩集』より 「幸福が遠すぎたら」 寺山修司/著

 

 


www.youtube.com

 

大人の本を続けて紹介したので、つぎは児童書から。

4 銀河鉄道の夜銀河鉄道の夜』 宮沢賢治/著

主人公は少年ジョバンニ。

友達のカンパネルラから年に一度の星祭りに誘われたジョバンニは、仕事帰りに会場へ帰りに向かいますが、途中で会った同級生に父親のことをからかわれ逃げ出してしまいます。

するとあたりが明るくなり、空一面が輝き始めました。気がつくとジョバンニは列車に乗っていて、前にはカンパネルラが座っていました。二人を乗せた汽車は銀河鉄道を走っていきます。ふたりは「ほんとうの幸せ」について考えます。

 

「カムパネルラ、僕たちいっしょに行こうねえ」ジョバンニがこう言いながらふりかえって見ましたら、そのいままでカムパネルラのすわっていた席に、もうカムパネルラの形は見えず、ただ黒いびろうどばかりひかっていました。
ジョバンニはまるで鉄砲丸(だま)のように立ちあがりました。そして誰にも聞こえないように窓の外へからだを乗り出して、力いっぱいはげしく胸をうって叫び、それからもう咽喉いっぱい泣きだしました。

 

ここから、ジョバンニにはおわかれと再会の予感が待っています。

 

5『 地図を広げて  』 岩瀬成子/緒

地図を広げて

 4年前に両親が別れてお父さんと2人暮らしの鈴。中学入学前の春、母親が倒れたという知らせがとどきます。お母さんはそのまま亡くなってしまい、弟の圭が、鈴たちといっしょに暮らすことになりました。

 小さいころに離れてしまったゆえの、きょうだい間にある距離感。

 お姉ちゃんの鈴からしたら、捨てられたとまではいわなくても、お母さんに距離を取られたという思い、お母さんは自分のことどう思っていたのか、という思いが心の底にあります。弟に聞いてみたくても、弟は小さかったし、彼は彼で新しい環境に馴染むのが大変で・・・。

 生きるための険しい道のりを子どもでありながらそれぞれ何とかして生きていく、それは大人になってから考えると結構大変だったなと思い出させてくれる作品です。

 

最後に、2022年に出版された本から一冊。


6『ぼく』作 谷川俊太郎 絵 合田里美

闇は光の母 (3) ぼく (闇は光の母 3)

 「すごく明るい絵本にしたい」 という谷川俊太郎氏の提案で、鮮やかないろと季節を感じる絵の本。あたたかいほのぼのしたお話のようにみえますが、この本のテーマは「子供の自死」です。

 もともとの本書誕生のきっかけは、2人の編集者。東日本大震災をきっかけに“死”をテーマにした絵本シリーズを手掛けるようになったフリーの絵本編集者は、「子どもの自死」というテーマに向き合うにあたって、オファーを谷川氏に出したそうです。

 

 「ぼく」が死んでしまった理由は書かれていません。絵にも、家庭問題や友達関係など、何かが原因だと簡単に暗示するようなものは注意深く取り払われています。


 実際に子どもが自分で死んでしまったとき、半数は理由がわからないそうです。その理由は簡単に推し量れないもの、という谷川さんの趣旨もこめられています。


「おにぎりがおいしい」「むぎちゃつめたい」など生きるためのセンサーを働かせて、はたから見たらまったく普通に生きていたぼくが、どうして「ここにいたくない」「いきていたくない」に至ったのかなと、本と向かい合いながらずっと考える絵本でした。

 


www.youtube.com

 

 

 「ぼく」を読んでしばらくしたときに、同じく谷川さんの絵本『生きる』と対になっているのかしらと思いました。読み比べてみてください。

 

7『生きる』 作 谷川俊太郎 絵 岡本よしろう

 

生きる (日本傑作絵本シリーズ)

大河ドラマ「青天を衝け」をより楽しむための本

 『青天を衝け』

 ドラマの台本をもとに小説化したものです。
大河ドラマ「青天を衝け」には原作はなく、脚本家によるオリジナルストーリーです。
脚本家の大森美香さんは、テレビ局勤務を経て、脚本家になりました。「不機嫌なジーン」やNHK朝の連続テレビ小説『あさが来た』の脚本を執筆しています。

  


www.youtube.com

 

 

 渋沢栄一は2024年に新一万円札の顔になります。鉄道や銀行などの日本の根幹となる約500社もの企業を立ち上げ、600以上の社会事業にかかわり、ノーベル平和賞の候補にも二回なりました。「日本資本主義の父」「実業界の父」。渋沢栄一の生まれは天保11年2月13日(西暦:1840年3月16日)、武蔵国・現在の埼玉県深谷市血洗島の藍玉づくりと養蚕を営む百姓の家に生まれました。ここで栄一は 家業を手伝います。

深谷は土地の性質が稲作に向かず、コメの代わりに藍を育てていました。江戸時代、藍は染料として広く使われており、重要な作物でした。


『日本の藍』

 藍の栽培、藍染料の作り方、染織の技法、そして藍染作家たちを紹介している本です。この本によると、藍の産地としては徳島県の阿波が最も盛んでした。
ドラマ内で「阿波の藍だけでなく武州の藍も良いからぜひ見てくれ」と栄一とお父さんが売り込んでいるシーンがありました。 

  栄一は藍づくりの仕事にも精を出していました。14歳のとき、父の代わりに近くの村々へ藍の買い付けに出かけ,藍葉の鑑定を一人で行いました。渋沢栄一は、藍の出来に応じて席順を定め、一番良い藍を作った人を上席に据えて宴会をしました。競争意識を高めるためです。上位の人には、栽培の工夫などを話してもらって、今後の改善を皆が行えるよう工夫していたそうです。

 

栄一は藍を加工して現金に換金することを通して経済感覚を育てていったのかもしれません。ちなみに栄一は幼い頃から父に学問の手解きを受け、従兄弟の尾高惇忠(おだかじゅんちゅう)から「論語」などを学んでいます。


 栄一が16歳の時、栄一のいた藩は血洗島村に御用金1500両を要求、渋沢栄一の生家「中の家」に500両を割り当てました。ちなみに、2000両以上を生家は負担させられていたそうです。父の名代として岡部陣屋に出頭した栄一は代官に対し、一旦もちかえって改めて回答すると伝えました。しかし、代官は渋沢を罵倒しこの場での受諾を強要しました。栄一が世の中を変えようと思ったきっかけとなりました。

 

『雨夜譚』

 


 この雨夜譚は渋沢栄一の自伝です。御用金の一件での栄一の悔しい気持ちや、恩人の平岡円四郎が暗殺されてしまいますが、この前後の事情なども書かれています。

 この御用金でのもやもやをきっかけに社会を変えることを決断した栄一は、攘夷の志士をめざします。彼は横浜の外国人居留地を焼き討ちする攘夷計画を企てました。しかし、京の情勢に通じた従兄の長七郎の猛反対にあい、断念。逆に幕府に追われる立場となり、いとこの喜作と共に京へ逃げます。ふたりの助けになったのは、一橋慶喜の側近・平岡円四郎でした。

 

大河ドラマ関連の本をもう一冊。

 

5 NHK大河ドラマガイド『青天を衝け』

 

 
ドラマのガイド本前後編です。
NHKは栄一たちが暮らす血洗島でのシーンを撮影するために、群馬県安中市に広大なオープンセットを建設しました。藍の畑などもいれて東京ドーム1個分あるそうです。そのセットの撮影の様子や、「こんばんは、徳川家康です」と突然入ってくる北大路欣也さんの解説パートの余話など読むことができます。

徳川慶喜との関連本を一冊。

 

 

 『徳川慶喜渋沢栄一』 

 


渋沢栄一は「生涯の主君」徳川慶喜の伝記編纂に大きな労力をかたむけています。ふたりの人生を追いかけることで、明治維新後の徳川家の姿を描き出している本です。 

そして徳川慶喜に使えた渋沢栄一におとずれた次のターニングポイントはパリ行きでした。パリ万国博覧会の随員に選ばれたのです。慶喜の弟・昭武とパリに渡った栄一は、社会のいろいろなことがらに衝撃を受けました。

  

渋沢栄一滞仏日記(「航西日記」「巴里御在館日記」)

「航西日記」という栄一の旅日記。栄一がが初めて目にしたものや食べたもの、海外で渋沢がさまざまな社会のしくみを見て学んだものなどが詳細に記録され、当時の感動が伝わってくるようでとっても面白いです。


凡そ毎朝七時ごろ、乗客の旅客盥漱(かんそう)の済みしころ、ターブルにて茶を呑ましむ。茶中必ず雪糖を和し、パン菓子を出す。又豚の塩漬けなどを出す。ブールと云う牛の乳の凝まりたるをパンへ塗りて食せしむ。味甚だ美なり。(ここドラマで出ました)


この航西日記などは国立国会図書館デジタルライブラリーで見ることができます。

dl.ndl.go.jp

 

 

そんな折、日本から大政奉還の知らせが届き、無念の帰国へ……。 栄一29歳、帰国したら幕府はなくなっているわ、江戸は東京になっているわ、しかも旧幕府軍と新政府が内戦状態となっており、未来は見通せませんでした。
フランスから帰国後、慶喜がいる静岡に身を寄せた栄一でしたが、大隈重信にスカウトされます。そして大蔵省への仕官を命じられて上京。渋沢が大蔵省に勤務しているころ、将来を嘱望されていました。しかし33 歳の時に思うところがあって大蔵省を辞めます。

  やめようとする渋沢を、同僚の玉野世履(たまのせいり/たまのよふみ)は責めました。いずれ大臣にだってなれるのに、金に目がくらんで実業家になるとはあきれるばかりだ、と。そのとき、渋沢が『論語』を用いて「官僚だけが尊いわけではないし、金銭を卑しんでいたら国家は立ち行かない。人間が務めるべき尊い仕事は至る所にある」と反論しています。

 

『近代日本の礎築いた七人の男たち』
玉野世履は岩国の人です。玉乃 世履(たまの よふみ/せいり)
日本の裁判官。 清廉潔白な精神の持ち主で、その公正な裁きにより、「明治の大岡」と賞賛されました。

 

 

 

 

 

この後、実業界でどのような会社を立ち上げてきたかは、冒頭でお話してきたとおりです。ここで一冊ビジネス書をご紹介します。

 


9『マネジメント』 上 P.F.ドラッカー∥著

 

 

エッセンシャル版には含まれていませんのでご注意を・・・
この本の著者、P・F・ドラッカーオーストリアの経営思想家です。本書は組織経営とはなにかを説いた本であり、ビジネス書の定番です。最近では、「マネジメント」に感化された女子高生が高校野球部をマネジメントする本が流行したのが記憶に新しいかたもいらっしゃるかもしれません。この『マネジメント』の中に渋沢栄一について書かれた箇所があります。


日本では、官界から実業界へ転身した渋沢栄一が1870年台から80年代にかけて、企業と国益、企業と道徳について問題を提起した。のみならず、マネジメント教育に力を入れた。プロフェッショナルとしてのマネジメントの必要性を世界で最初に理解したのが渋沢だった。明治期の日本の経済的な躍進は、渋沢の経営思想と行動力によるところが大きかった。


10『論語と算盤』
栄一が76歳の時、喜寿を機に実業界を引退。「論語と算盤」を刊行します。

論語と算盤」そのものの本としていま一般的に流通しているのは角川ソフィア文庫版とちくま新書版で、ちくま新書のほうはわかりやすく抄訳してあります。

 

 

 

 

 

変わったとこところでは漫画版もあるのですが、この漫画版では、渋沢栄一が部屋に入ると山形有朋の幽霊が出てくる、といった演出があって驚きました。

 

 

 

論語とは道徳、ソロバンとは経済。一見すると相反する二つの言葉を「と」という女子でつないで、両立させた、一見矛盾したタイトルです。
ところで、『論語と算盤』は厳密には渋沢栄一の著作ではなく、渋沢の講演会の記録を再構成した講演抄です。

1 処世と信条
2 立志と学問
3 常識と習慣
4 仁義と富貴
5 理想と迷信
6 人格と修養
7 算盤と権利
8 実業と士道
9 教育と情誼
10 成敗と運命

 

第一章 処世と信条より

論語と算盤という信条は渋沢自身が考えたものではありません。このフレーズの生みの親は漢学者、三島毅(き)でした。

 

その画調の中には『論語』の本とソロバン、一方はシルクハットと大証の朱色に塗った刀のサヤが描いてあった。ある日、学者の三島毅先生が、わたしの自宅にいらっしゃって、その絵を見られると、こう言われた。「とても面白い。わたしは『論語』を読む方で、おまえはソロバンを探求している方がそのソロバンを持つ人が『論語』のような本を立派に語る以上は、自分もまた『論語』だけで済ませず、ソロバンのほうも大いにきわめなければならない。だから、おまえとともに『論語』とソロバンをなるべくくっつけるように努めよう」

 実業家となった渋沢は、実業を行うだけでなく、さまざま公益を追求し続けました。
渋沢は自らが事業にかかわる際には、それが公益に資する事業かどうかどうかを基準として決めていたことが、論語と算盤に記されています。

栄一が力を入れていた社会事業のひとつは東京養育院(現在の東京都健康長寿医療センター)です。渋沢栄一の生きていた時代、東京には数多くの生活困窮者がいました。栄一は1874年(明治7年)から、貧しい人、病気の人、老人や障害のある人、孤児などの保護施設の運営を始めました。できるだけその人たちが社会に参画できるよう、職業訓練や教育も併せて実施していました。子の養育院の運営にはは60年近く養育院の運営にかかわりました。

 『五重塔』で知られる幸田露伴渋沢栄一伝から・・・

 

11『渋沢栄一伝』幸田露伴

 

  

これほど慈善事業に栄一の熱心であったのは、栄一の仁心にもとづいたことは勿論であるが、その源泉を尋ぬると、栄一の母の性質の美にして、惻隠の情はなはだ深く、困窮病弱等の悲しむべき人を憫む(あわれむ)余りにその救済慰籍の施為(しい)が篤きにすぎて、時にその夫の喜ばざるまでに及んだ程だったというのに因ったのである。母は明治7年に死したが、栄一はその後数十年を慈善事業に尽力して怠らなかったのである。母は栄一によって永く生きたのである。
栄一は昭和6年11月11日92歳をもって時代の人として意義ある生活を終わった。

 

渋沢栄一デジタルミュージアム

www.city.fukaya.saitama.jp

 

一万円選書★選書カルテと届いた本

  先日、北海道いわた書店の「一万円選書」に当選し、おすすめの本を選んでいただきました。一万円選書とは・・・

 

「忙しくって本屋にいけない、最近同じような本ばかりで出会いが・・・

などなど読書難民のあなたの為に、社長の岩田がお薦めの本を約一万円分選んでお届けするというサービスです。」

 いわた書店ホームページより

 

2018年の「プロフェッショナル仕事の流儀」で放送されて認知度がぐっと上がりましたね(^^♪ 倍率も高いようで、当選メールが来た時にはとてもうれしかったです。

 

一万円選書の流れは、

1:当選の連絡→読書カルテが添付されていて、そのカルテに記入

  

何を聞かれるのかといいますと・・・

  

まず、自分自身の読書ベスト20(かなり迷う!)

一部をあげておきます。

 

 書名

著者

守り人シリーズ

上橋菜穂子/著

十二国記シリーズ

小野不由美/著

葉村晶シリーズ

若竹七海/著

白痴

ドストエフスキー/著

それでも人生にイエスと言う

V.E. フランクル/著

悪童日記

アゴタ・クリストフ/著

 アンドロイドは電気羊の夢を見るか

フィリップ・K・ディック/著

 猫の事務所

 宮澤 賢治 (著), 小林 敏也 (イラスト)

アンパンマンの遺書

やなせたかし/著

 

 

  それから、自分自身と向き合わざるを得ないようなディープな質問がいくつか。

 ★ 何歳のときのじぶんが好きですか?

★ 上手に歳をとることが出来ると思いますか?もしくは、10年後のあなたは
どんな人になっていますか?

★ これだけはしないと心に決めていることはありますか?

 

などなど。 カルテを返送すると、カルテを基にいわた書店岩田徹さんが選書してくださいます。リストを見て、既読のもの等があれば差し替えていただき、購入します。 私がおすすめしていただいた本を一部ご紹介します。

 

 1 『向田邦子の本棚』 向田邦子/著

 

向田邦子の本棚

  

 向田邦子の膨大な蔵書から、脚本やエッセイ・小説の糧となった本、食いしん坊に贈る本などの愛読書を紹介する。本をめぐるエッセイ、単行本未収録エッセイ・対談も掲載。

 

 

2 『アーモンド』 ソン ウォンビョン/著

 

アーモンド(扁桃体)が人より小さく、怒りや恐怖を感じることができないユンジェ。彼の前にもうひとりの“怪物”が現れて…。他人の感情がわからない少年と、物心もつかないうちに親とはぐれた不良少年、2人の成長物語。

  

映画「あなたへ」と山頭火

映画「あなたへ」は、劇場公開日2012年8月。

2014年11月10日83歳で亡くなった高倉健さんの遺作で、大滝秀治さんの遺作でもあります。

監督は、高倉とともに「鉄道員」などを生み出してきた降旗康男氏。

 


映画『あなたへ』

 

原作はなく、降旗監督と脚本家によるオリジナルストーリー。
映画のノベライズが文庫版で出版されています。

 

1: 『あなたへ』森沢 明夫/[著]

小説と映画の違うところ

 a 妻洋子からの手紙の内容。主人公は洋子から2通手紙をもらいますが、2通目のお手紙の内容が違っています。

 b ノベライズ版では山頭火の俳句が映画よりかなり多く紹介されます。山頭火に興味があるひと、映画を見て山頭火の句って面白いなと思ったら、ノベライズを一読してみるのが良いかも。
ほかにもいろいろ違いがありましたよ(^^♪

 

あなたへ (幻冬舎文庫)

あなたへ (幻冬舎文庫)

 

 

主演の高倉健さんの本

 

2 『幸せになるんだぞ  高倉健あの時、あの言葉』谷 充代/著

 

 

幸せになるんだぞ 高倉健 あの時、あの言葉

幸せになるんだぞ 高倉健 あの時、あの言葉

  • 作者:谷 充代
  • 発売日: 2020/06/02
  • メディア: 単行本
 

健さんが出演した映画と、さまざまなエピソードが紹介されています。

「あなたへ」関連では、佐藤浩市さんが健さんと飲みに行く(ただし健さんはお酒は飲まないので、佐藤浩市さんだけ飲む)話で、佐藤さんが緊張から早いペースでお酒を飲んでしまいぐでんぐでんになっちゃう (/ω\)話が紹介されていました。

 

 

 『高倉健の背中』 大下 英治/著

降旗監督と高倉健さんは数々の作品でコンビを組みました。
ふたりの数々のエピソードが紹介されています。

 「星めぐりの歌


星めぐりの歌(田中裕子)

 

 刑務所慰問のシーンと竹田城での天空のコンサートで田中裕子さんが歌っていた曲は、宮沢賢治の作詞・作曲の童謡「星めぐりの歌」です。田中さんの歌声、美しい(^^♪

 

あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の  つばさ
あをいめだまの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。

オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす、
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。

大ぐまのあしを きたに
五つのばした  ところ。
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて。

 

4:『草木塔』種田山頭火

 この映画の中では種田山頭火の句がところどころに出てきます。
劇中で渡される本は、はっきりとセリフには出てきませんが、画面から判断しておそらく『草木塔』(潮文社)です。

 

草木塔―山頭火俳句集 (1971年) (潮文社新書)


『草木塔』は、山頭火句集七冊を収録した合本版の一代句集で七〇一句を収めています。仏教では「草木成仏(そうもくじょうぶつ)」、心を持たない草や木でも成仏するこれを信じて「草木塔」と刻んだ石碑を山野に建てる習俗がありました。それに習っての命名であったようです。

 

映画『あなたへ』に出ていた山頭火の俳句

 

行き暮れてなんとここらの水のうまさは

『草木塔』「柿の葉」

 

分け入つても分け入つても青い山

『草木塔』「鉢の子」

 

うしろすがたのしぐれてゆくか

『草木塔』「鉢の子」

 

朝凪の島を二つおく 

『草木塔』「鉢の子」

 

ひとり山越えてまた山

 

このみちやいくたりゆきしわれはけふゆく

 

 

f:id:coffeeandchocolate:20201207182157p:plain

 

 

葉村晶シリーズを順番に読む

2020年1月からNHKで放送された「ハムラアキラ」シリーズ。

 原作は、ミステリー作家・若竹七海が20年以上に渡って描いてきた「女探偵・葉村晶シリーズ」 です。葉村シリーズの一覧を作成しました。

 


「ハムラアキラ~世界で最も不運な探偵~」予告・あらすじ・解説動画 10分ロングバージョン

 

  1 『プレゼント』 

ルーム・クリーナー、電話相談、興信所など職を転々とするフリーター・葉村晶。この作品では葉村の年齢は26歳~28歳くらい。ノンフィクション・ライターの肩書きもある。父は早世し、家には口うるさい母親と三人の姉がいる。大学時代に苦い三角関係の経験あり。

 

プレゼント

 

  女探偵・葉村晶のもとに持ちこまれる様々な事件。冬から始まり、三度目の冬までの物語。

 

3 『悪いうさぎ』

わたしは葉村晶という。国籍・日本、性別、女、年齢・三十一歳。数年前から長谷川探偵事務所と契約している、フリーの調査員である。長谷川探偵調査所に社員として三年間後、長谷川所長の勧めもあって自由契約に落ち着いた。人手もしくは女手が必要になると、所長がわたしのところへ電話をよこす。私はそれに応じて駆けつけ、働く。フリーの調査員といえば聞こえはいいが、要するに何でも屋、フリーターだ。月に六十万以上稼ぐ時もあれば、六千円のときもある。 ~ 幸か不幸か親兄弟はわたしに関心を払ったことがほとんどないので、ちゃんとした仕事につけとか、やりたいことを見つけろ、結婚しろなどとうるさく説教してくる人間は誰もいない。(「前哨戦」P8より)

 

f:id:coffeeandchocolate:20200302195916j:plain

葉村晶クロニクル



菊池寛『恩讐の彼方に』

恩讐の彼方に

 大正八年に菊池寛耶馬渓伝説をもとに描いた短編小説。

 

 大分県中津市耶馬渓(やばけい)で、江戸時代の僧禅海が、自らノミと槌で30年をかけ彫りぬいた洞門が「青の洞門」です。

 

 耶馬渓には「鎖渡し」という難所があって、命を落とす民衆が後を絶ちませんでした。これを見かねて禅海が托鉢で資金を集め、石工を雇い、執念で洞門を完成させました。この逸話をもとにして書かれたのが『恩讐の彼方に』です。

 

f:id:coffeeandchocolate:20190103004417j:plain
f:id:coffeeandchocolate:20190102231303j:plain
平成二年に公開された禅海和尚の像。後ろ側に菊池寛への感謝を込めてレリーフが飾られている。

 右図の写真の銅像の後ろが切り立った崖になっています。こんな岩場が多い地形で、当然現代のような舗装された道路もなく、通行が困難だっただろうことは想像に難くないのでした・・・

 青空文庫で公開されています。短編なのでスマホでも読みやすいです(^_-)-☆

 

 

恩讐の彼方に』 菊池 寛/著

あらすじ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 1  主殺し

 安永三年(1774)、江戸の旗本の家で殺人事件が起こります。屋敷の奉公人、市九郎が旗本である主人といさかいの末、主殺しの大罪を犯してしまったのです。いさかいの原因は主人の妾、お弓とねんごろになってしまったことでした。この当時は手打ちにされても仕方がない重罪です。市九郎とお弓が密会していた現場に、突然主人が踏み込んできて、応戦しているうちに主人を殺すという最悪の結果を招いてしまいます。

 

 妾のお弓の「こうなっちゃ、一刻の猶予もしておられないから、在金をさらって逃げるとしよう」という言葉に従って、二人はその場から逃げるのでした。屋敷には三歳になったばかりの実之助が眠っていました。

 

2 市九郎、強盗家業を働いた後、懺悔して出家する

 市九郎は「どうせ兇状もちになったからには、度胸を据えて、世の中を面白おかしくくらそうじゃないか」とお弓にけしかけられ、追いはぎを働くようになりました。

 

三年がたち追いはぎも板についたころ、若夫婦が市九郎たち二人の餌食になってしまいます。市九郎は、この夫婦を殺した時に芽生えた良心の呵責と、お弓の強欲さに嫌気がさし、身一つで逃げ去りました。

 

 そして、美濃(岐阜県)の浄願寺に駆け込み、寺の上人に一切の罪を打ち明けます。市九郎は出家し、名も了海と改めました。

 

3 贖罪として隧道(すいどう)開通を一大悲願とする

 出家後に諸国を修行しながらたどり着いたのが、豊前国(大分)の樋田という宿場でした。そこで「鎖渡し」という難所で命を落とした馬子といきあいます。

 

 この鎖渡しでは年に10人もの人命を奪ったという恐ろしい場所であることを聞き、実際に鎖渡しを目にしたとき、約360メートルに余る岸壁をくりぬいて道を通す事業を起こすことを決心します。

 

 

4 里人が何度か手伝うが長続きしせず挫折。しかし18年たち開通のめどがたつ頃、本腰を入れて支援する

  はじめのうちは、騙りじゃといって非難していた里人たちでしたが、二年たち三年たつうちに、迫害をやめて協力するようになります。しかしその困難さからあきらめてしまうこともありました。

 

 市九郎は村人の協力がなくなった後もひとり岸壁を掘り続けます。やがて20年近くが経過し隧道の開通を信じて疑わなくなった里人たちは、積極的に掘削を手伝うようになっていったのです。

 

6 了海(市九郎)を敵とする実之助が登場

 隧道の開通を目前にしたある日、市九郎のために非業の横死をとげた旗本の息子、実之助が現れます。実之助は敵討ちのため、長い間市九郎をさがして諸国をさすらっていたのでした。

 

 やがて実之助の前に現れた市九郎の姿は、人間というよりも、むしろ人間の残骸というべきものになっていました。実之助の張りつめた心は、この老僧を見てタジタジとなってしまいます。彼は、心の底から憎悪を感じるような悪僧を思い描いていたのに、目の前にいるのは半死の老僧だったからです。

 

7 実之助が敵討ちを止められる

 タジタジとなった実九郎ですが、敵を討とうとする実九郎の前に、五六人の石工が挺身して走り出てきます。石工の棟梁に隧道の開通という大願成就の日まで仇討を待つよう哀願され、実之助はこれを受け入れます。 

 

8 実之助が洞門内で了海の菩薩心を感受する 

 石工たちの哀願を受けれはしたものの、五日目になると監視の目も緩んできます。今宵こそと仇討を心に決めた実之助が洞窟に忍び入ると、洞窟の底からクワックワッと間をおいて響いて来る音を耳にします。それは了海が深夜ただひとり暗中に端座して鉄槌をふるう音だったのです。

 

  その一心不乱な音と、しわがれた悲壮な声で経文を誦する声、衆生を救るために砕身の苦しみを嘗めている了海。それに比して深夜の闇に乗じて、おいはぎのように、憎悪のために権をふるおうとしている自分を顧みると、実之助は戦慄が体を伝うのを感じました。

 

 

9 隧道の開通

 実之助は、老僧を闇討ちにするようなことはせず、一生の悲願達成の日まで待つことを決心します。そして呆然とその日を待つよりも、自分も槌をふるうことによってその日が早まることを悟り、了海と相並んで槌をふるうようになりました。

 

 二人が並んでのみをふるうこと1年半ついに洞門は貫通します。二人はすべてを忘れ手を取りあって涙にむせんだのでした。

 

 


朗読・菊池寛「恩讐の彼方に」

 

 作者の菊池寛

自分の歴史小説などは、すべて封建的な義理人情の打破であり、啓蒙であったと思う(『続半自叙伝』)

 と述べています。仇討と、作品の発端となる姦通事件が封建的なものの象徴でしょうか。

 

 封建的なものへの批判という点もさることながら、実之助が市九郎(了海)を赦す心持になるまでの過程がとても興味深かったです。

 

 憎々しい悪僧のはずだったはずの了海が、贖罪のため砕身し人間の残骸のような姿になっており、タジタジとなる(赦す相手の姿をとらえなおす必要に迫られる)

     ↓

 敵討ちを待つことをいったん了承したものの、武士として不甲斐ないと洞窟に忍び込み、岸壁を穿つ姿に心を打たれる。

     ↓

 敵である了海と並んで槌をふるう(共感から赦しの気持ちへ)

 

 実之助は親を殺されており、それを赦すことが困難なのは想像するまでもありません。そこに加えて封建社会ですから、武士としてのメンツや、家名再興の必要性もあります。10年に近い月日を艱難のうちに費やしたらなおのことです。

実之助の赦しの過程をひとつひとつ重ねて読み解いていくことで、「了海スゲー」で終わらない話として読むことができるように思います。

 

 

 

 

 


  韓国小説『七年の夜』 大人の闇に呑み込まれた子どもの話

『七年の夜』 韓国小説

七年の夜 (Woman's Best 韓国女性文学シリーズ3)

七年の夜 (Woman's Best 韓国女性文学シリーズ3)

  • 作者:チョン・ユジョン
  • 出版社:書肆侃侃房
  • 発売日: 2017-11-10
 主な登場人物

チェ・ヒョンス 元プロ野球選手・セリョンダムの新保安部長・ソウォンの父

チェ・ソウォン ヒョンスの息子

カン・ウンジュ ヒョンスの妻

オ・ヨンジェ  セリョン村の地主・歯科医師

オ・セリョン  ヨンジェの娘

ムン・ハヨン  ヨンジェの妻

アン・スンファン ヒョンスの部下

 あらすじ(ネタばれあり)

  死刑囚の息子として誹謗中傷され、親戚の間を転々として育ったソウォン。父親の処刑がせまるなか、ソウォンの周りには不思議なことが起こり始める。
時は変わって、事件の前・・・

 二人の父親が事件の中心人物である。一人は地主で歯科医のヨンジェ。裕福で権力もあり、妻と娘のことを愛しているように見えるが、彼は家族を自分の所有物とみなしている。「自分のもの」に対する病的な執着から家族を束縛し、暴力を振るうのが日常。もう一人は保安員のヒョンス。大柄で元プロ野球選手。息子のソウォンを溺愛している。

 

 ある晩、日々のイライラから飲酒運転をしていたヒョンスがヨンジェの娘を車ではね、さらに扼殺してしまう。その時ヨンジェの娘セリョンは、父親からのドメスティックバイオレンスから逃れるため、道路に飛び出したのだった。母親は自分の身を守るためにフランスに逃げており、セリョンは死んでしまう。セリョンの遺体を湖に捨てるヒョンス。この一瞬の誤った選択が破滅への始まりとなった。

 

  一方、セリョンを殺した犯人を捜す父親ヨンジェ。手段を選ばず犯人のヒョンスを追い込む。最後には息子ソウォンをさらって殺そうとする。ヒョンスがとった防衛策が、ダムをからめた未曽有の災害となって付近の住民まで巻き込み、多数の死者を出してしまう。それが事件のあらましだった。ヨンジェは生死不明となる。

 

 ヒョンスの処刑直前、ソウォンはヨンジェが自分の周りにわなを張っていたことを知る。ソウォンはヒョンスからの攻撃を警察と連携して防ぎ切る。そしてヒョンスの処刑は行われた。

 

 

 


『七年の夜』予告編 ★のむコレ2018上映作品★

 

 

 テーマは「悪」。家族をモノのように扱い暴力をふるうヨンジェの悪。酒におぼれ、誤った選択の結果として子どもを殺したヒョンスの悪。

 

 ヒョンスの悪癖の元である暴力的な父、ヨンジェに見られる妻や子への支配的な父性。作中にはさまざまな悪が描かれている。悪による行為の結果が積み重なって、より悪い方向へと向かっていくのが読んでいてつらかった。

 

 そして子供たち。

 ヒョンスの息子ヒョンスの息子ソウォンは、死刑囚の息子という中傷に耐えて生きるしかなかった。そしてヨンジェの娘セリョンは、暴力に虐げられ、逃げることもできず死んでしまった。セリョンはは自らを置いて行った母を思い、それを見とがめた父に殴られ、逃げた先で見知らぬ男にはねられ、殺された。

 殺される前に「パパ」と呼んだ声は、どんな思いから出たのだろうか。 セリョンははたして、大人であるヒョンスが最期に感じたように、それでも人生に「イエス」といえただろうか。

 

 作中で紹介されているV・Eフランクルの『それでも人生にイエスと言う』とセットで読むと、セリョンが少し救われたように思えた。