3月はお別れの季節です。遠距離恋愛になる人、就職する人、多くの人が人生の転換期を迎えているはず。「おわかれ」をテーマにした本には、読んだ後に前向きな気持ちにさせてくれるものや、別れの悲しみを共有できるものがたくさんあります。
1『厄除け詩集』 (講談社文芸文庫) 井伏鱒二/著
ですが今日、ご紹介するのは『山椒魚』『黒い雨』のどちらでもありません。
「さよならだけが人生だ」という一説を聞いたことはありますか?
中国の、于武陵(うぶりょう)の詩「勧酒」(かんしゅ)につけた井伏鱒二の訳です。
勧 酒
勧君金屈卮
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
井伏鱒二の訳
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
実はこの漢詩を翻訳するのときに、元ネタとなる出来事があったそうです。
2 井伏鱒二全集〈第20巻〉所収『因島半歳記』 井伏鱒二/著
やがて島に左様ならして帰るとき、林さんを見送る人や私を見送る人が十人足らず岸壁に来て、その人たちは船が出発の汽笛を鳴らすと「左様なら左様なら」と手を振つた。林さんも頻りに手を振つてゐたが、いきなり船室に駆けこんで、「人生は左様ならだけね」と云ふと同時に泣き伏した。そのせりふと云ひ挙動と云ひ、見てゐて照れくさくなつて来た。何とも嫌だと思つた。しかし後になつて私は于武陵「勧酒」といふ漢詩を訳す際、「人生足別離」を「サヨナラダケガ人生ダ」と和訳した。無論、林さんのせりふを意識してゐたわけである。
(『因島半歳記』より)
数ページの短い話なので、読んでみてください。この話を読むと、林さん、ちょっと芝居がかった感じだったのかしら、井伏さんはそれをみて「何とも嫌だ」と思ったのかしら、とその場面に自分が居合わせたような気持になります。いやだなと思いながら、漢詩の訳に用い、後世には名訳としてのこったのが何とも言えず面白いです。
ところで、「さよならだけが人生だ」ときいて、あれ?寺山修司の作品じゃないの?と思った人がいるかもしれません。寺山修司は井伏の訳したこのフレーズを用いて、複数の詩を残しています。
3『寺山修司詩集』より 「幸福が遠すぎたら」 寺山修司/著
大人の本を続けて紹介したので、つぎは児童書から。
4 銀河鉄道の夜『銀河鉄道の夜』 宮沢賢治/著
主人公は少年ジョバンニ。
友達のカンパネルラから年に一度の星祭りに誘われたジョバンニは、仕事帰りに会場へ帰りに向かいますが、途中で会った同級生に父親のことをからかわれ逃げ出してしまいます。
するとあたりが明るくなり、空一面が輝き始めました。気がつくとジョバンニは列車に乗っていて、前にはカンパネルラが座っていました。二人を乗せた汽車は銀河鉄道を走っていきます。ふたりは「ほんとうの幸せ」について考えます。
「カムパネルラ、僕たちいっしょに行こうねえ」ジョバンニがこう言いながらふりかえって見ましたら、そのいままでカムパネルラのすわっていた席に、もうカムパネルラの形は見えず、ただ黒いびろうどばかりひかっていました。
ジョバンニはまるで鉄砲丸(だま)のように立ちあがりました。そして誰にも聞こえないように窓の外へからだを乗り出して、力いっぱいはげしく胸をうって叫び、それからもう咽喉いっぱい泣きだしました。
ここから、ジョバンニにはおわかれと再会の予感が待っています。
5『 地図を広げて 』 岩瀬成子/緒
4年前に両親が別れてお父さんと2人暮らしの鈴。中学入学前の春、母親が倒れたという知らせがとどきます。お母さんはそのまま亡くなってしまい、弟の圭が、鈴たちといっしょに暮らすことになりました。
小さいころに離れてしまったゆえの、きょうだい間にある距離感。
お姉ちゃんの鈴からしたら、捨てられたとまではいわなくても、お母さんに距離を取られたという思い、お母さんは自分のことどう思っていたのか、という思いが心の底にあります。弟に聞いてみたくても、弟は小さかったし、彼は彼で新しい環境に馴染むのが大変で・・・。
生きるための険しい道のりを子どもでありながらそれぞれ何とかして生きていく、それは大人になってから考えると結構大変だったなと思い出させてくれる作品です。
最後に、2022年に出版された本から一冊。
6『ぼく』作 谷川俊太郎 絵 合田里美
「すごく明るい絵本にしたい」 という谷川俊太郎氏の提案で、鮮やかないろと季節を感じる絵の本。あたたかいほのぼのしたお話のようにみえますが、この本のテーマは「子供の自死」です。
もともとの本書誕生のきっかけは、2人の編集者。東日本大震災をきっかけに“死”をテーマにした絵本シリーズを手掛けるようになったフリーの絵本編集者は、「子どもの自死」というテーマに向き合うにあたって、オファーを谷川氏に出したそうです。
「ぼく」が死んでしまった理由は書かれていません。絵にも、家庭問題や友達関係など、何かが原因だと簡単に暗示するようなものは注意深く取り払われています。
実際に子どもが自分で死んでしまったとき、半数は理由がわからないそうです。その理由は簡単に推し量れないもの、という谷川さんの趣旨もこめられています。
「おにぎりがおいしい」「むぎちゃつめたい」など生きるためのセンサーを働かせて、はたから見たらまったく普通に生きていたぼくが、どうして「ここにいたくない」「いきていたくない」に至ったのかなと、本と向かい合いながらずっと考える絵本でした。
「ぼく」を読んでしばらくしたときに、同じく谷川さんの絵本『生きる』と対になっているのかしらと思いました。読み比べてみてください。
7『生きる』 作 谷川俊太郎 絵 岡本よしろう