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ミャンマーってどんな国?【2017年課題図書】空にむかってともだち宣言 茂木ちあき作/ゆーちみえこ絵

 

 

空にむかってともだち宣言

空にむかってともだち宣言

 

  

1 アジアの仲間

 小学4年生の女の子、あいりはお母さんとふたりで2階建てのアパートに住んでいます。そこに5人家族が引っ越してくるらしいと聞いたあいりは、ちょっと不思議な気持ち。

 

 

アパートはふたりだと十分な広さ。だけど、同じ広さで5人だとちょっと狭くない

 

 

そして、おとなりさんになる家族がやってきました。ちょっと色が黒いけど、髪は黒いし顔だちも日本人に似ています。おかあさんが、みんなミャンマーから来たのだと教えてくれました。どうりで日本人と少し違ったはずです。

 

お父さんのティンさんがミャンマーの場所を教えてくれるために世界地図を出してくれました。日本が端っこにあって見慣れない感じです。ミャンマーと日本は両方東のはじっこにあり、近いことがわかります。

 

近いとは言っても外国なのに日本で暮らすのはたいへんじゃないのかな??┃・ω・`*

 

 

ティンさん一家はほとんど荷物もなく、日本語もまだ上手ではありません。あいりは、同い年の女の子ナーミンのお世話を、ゴンさん(お母さんの友達)からたのまれました。あいりは少し心配になります。

 

早く日本語がじょうずにならないと、確実にシカトされちゃう (/ω\)

 

 

2 二学期に向かって

 

 さあ、行動開始。ティンさん一家はほとんど何も持ってきていませんでした。だからたくさん買い物をしなくてはいけません。あいりとナーミンたち子どもグループは着がえと文房具の用意が担当です。

 着がえはあいりのおさがりがぴったりだったので当面は大丈夫そうです。

 

つぎは文房具。百均やショッピングセンターのワゴンセールで買い物をしていきます。ナーミンはちょっと心配そうだったけど、ふたりの弟はたくさんものがあって大喜びでした。

 

 夏休み中は、あいりとナーミン、ナーミンの双子の弟、あわせて4人で2軒の留守番をします。留守番中は、ナーミンは日本語の勉強。昼ごはんにはお母さんが下ごしらえしてくれたご飯を作って食べます。ときどきナーミンがミャンマーのご飯をつくってくれます。

モヒンガという料理はラーメンに似た味がしました。

 

午後はエアコンがきいている児童館や図書館へ。ナーミンはミャンマーの写真を見てさみしそうに本を閉じました。ショッピングセンターへもよく行きました。

 

 物の名前やお金の数え方など、覚えることはたくさんありました。

 

3 あいりにまかせた!

 

 

 夏休みが終わり、いよいよ二学期です。ナーミンとあいりは同じクラス。ナーミンは上手く日本語であいさつをしました。すべりだしは順調に思えたのですが・・

 

 スポーツができて人気者、だけど思いつきでものをいう航平が、日本に来たばかりのナーミンをクラス委員に推薦します。航平の太鼓持ち、勇太と大樹もはやし立てます。

 

 最初は 「外国から来たばかりなのに、いきなりは無理でしょう」

と助け船をだした担任のゆう子先生。

 

「みんなも協力するから」と航平。

 

 あいりは心の中で(おまえさえ勝手なことをしなければ、クラスはいつもまとまってるさ)と思いますが、さすがにそこまでは言えません。ゆう子先生も「あいりと二人でやってみたら?」と言い、最終的に二人はクラス委員をすることになりました。

 

ある日、ごはん食の給食がでました。お箸が用意されていました。ミャンマーではお箸は使いません。ナーミンもまだお箸が苦手で、手がつい出てしまいます。

 

弟達は大丈夫かな?心配したナーミンとあいり。ふたりは給食が始まる前にトイレに行くと言って教室を抜け出します。弟達は大丈夫でした。あらかじめスプーンが配られるようにお願いしてあったのです。ですが・・・

 

二人が教室に戻ると自分たちの給食がありません。

 

「日本の食べ物あわないんじゃないかと思ってさ」

「難民キャンプの子供は一日一食、っていってたよ」

「難民だからナーミンなんじゃないのー」

「一日一食なら、ちゃんと食べないと」

 

とはやしたてる航平たち。あいりは腹を立て、航平たちにつっかかります。

 

 給食はひっくりかえってしまいました。

 

「ナーミンもなんとかいいなよ」と、あいりがふりかえると、ナーミンは大つぶの涙をぽろり。今まで涙を見せなかったナーミン。給食にもほとんど手を付けませんでした。

 

4 難民地図ってなに?

 

 どんよりした空気の5時間目。

 

 先生は、予定を変えて「世界の国々の勉強」といい、黒板に大きな地図を広げました。「世界難民地図」というもので、難民が多いほど赤が濃く塗ってあります。

 

 

 先生は、世界にはいろいろな理由で自分の国にいられなくなって外国に避難する人がたくさんいることを教えてくれました。

 

 日本でも、台風や地震原発事故で非難する人がいます。でも、自分の国ではどこも危険だったらどうすればよいのでしょうか?

それで、国の外にしかたなく避難する人がいるのです。

 

そして特別ゲストには、なんとゴンさんが登場します。ゴンさんは難民の人が日本で生活するための相談やお手伝いをしている人だったのです。

 

ゴンさんのお話では、ナーミンのお父さんは新聞記者でした。しかし、国の政治に反対していると言われ警察に捕まり、きびしい取り調べや暴力を受けて、仕事にも行けなくなり、ナーミンも学校に行けなくなったのでした。

 

ナーミンは「一番悲しかったこと」を話します。

 

「お父さんはある日、急に帰ってこなくなりました。十日くらいして、仲間の人に連れて帰ってこられました。傷だらけで歯も三本折られ、耳も片方聞こえなくなっていました。仕事をしていただけなのに・・・」

 

「おじいさんやおばあさん、親戚は国に残っています。私たちのせいで警察に捕まってしまったり、いじめられたりしていないか、とても心配で・・・」

 

                                                      

 

5 ミランガラバーの日曜日

 

 秋の日曜日、ゴンさんがミャンマーの衣装ロンジーを巻いて現れます。ミャンマーでは男も女もみんなロンジーを巻くのです。

きょうは「ミャンマー・フェスティバル」。会場ではみんな同じようにロンジーをまいています。もともとミャンマーの人と日本人と顔立ちが似ているのでどっちの国の人かわかりません。

 

 

 あいりはミャンマーのポシェットを買ったり、ミャンマーの料理を食べたり。

 

舞台ではあいりが見たことのないダンスを踊りだしました。ナーミンのお母さんもいます。ダンスの後は「なかよし大使」を発表します。

 

それはなんとあいりでした。

 

びっくりするあいりに、ナーミンはお礼を言い、ロンジーを巻いてくれたのでした。

 

 6  発表会はバガンダンス

 

 

 次の日にゆう子先生に呼ばれたクラス委員のあいりとナーミン。相談は学習発表会の内容でした。

 

あいりは昨日見たバガンダンスが良い、と提案します。きれいなダンスであること、ナーミンのおかあさんが上手に踊れること、子どもでも踊れることなどを理由にあげます。

 

ゆう子先生と相談して、クラスのみんなにもバガンダンスを見てもらう用意をしました。

 

教室では机と椅子を後ろに下げて、音楽スタート。ナーミンとおかあさんが踊りながら教室に入ってきます。お母さんのこえかけでみんなにも踊ってもらいました。

 

ダンスは大盛り上がり(#^.^#)

 

発表会は「バガンダンスとミャンマーの子どもたち」に決まりました。

 

図書室の本でミャンマーについて一ヶ月間調べ学習をしたり、ダンスの練習をしたりして一か月がすぎました。

 

バガンダンスは大成功、あいりはナーミンと一生の友達になると空に誓ったのでした。

 

 


 感想

 

 

 

 

バガンダンス


Bagan Dance

 

 

 

ミャンマーはどんな国?

 なぜナーミンが祖国を出てまで暮らさなくてはいけないのでしょうか?ミャンマーはどんな国なのでしょうか?

 

世界難民地図

http://www.rhq.gr.jp/japanese/profile/pro/pdf/map_2016.pdf

 

 日本とミャンマーは近い国であることや、なぜミャンマーの人が避難しなくてはいけないのかがわかります。軍事政権の下、民主化を求める人や少数民族の人が避難指定しています。

 

ミャンマーからの避難民の数

 HP「キッズ外務省」によると、ミャンマーからの難民は45万人。世界で第7位になっています。

(キッズ外務省)難民の出身の多い国|外務省

 

 

・もし自分があいりだったら?

 あいりはナーミンたち姉弟とすぐにうちとけ、クラスメイトとの衝突にもビビらずナーミンをかばいます。あいりの気が強い部分もあるのでしょうが、なかなかできることではないと思います。

 

 もし、自分が他の国から来た子のお世話を頼まれたら快く引き受けられるでしょうか?その子がクラスでからかわれたら?

 

 最後に、なぜあいりは「空に向かって」ナーミンとともだち宣言をしたのか。ミャンマーまで届くようにグローバルな宣言をしたのでしょうね(/・ω・)/

いつかナーミンがミャンマーに帰って平和に暮らせたら良いですね。

 

 

・航平

 

 心ない言葉でナーミンをからかう航平たち。

 

 もし、日本でミャンマーのニュースが大きく報道され、そこに住んでいる人がどんな恐ろしい目にあい、どんな気持ちで逃げてきたのか知っていたら?

 航平たちは「難民は一日一食しか食べられない」などと、はやし立てたりはしなかったのではないでしょうか。ナーミンの話を聞いた後、航平はどこか考え方が変わったんじゃないかな?