読書の友は珈琲とチョコレート

本屋さんか図書館まわりで生きています。文学館にいることもあります。

『錯覚の科学』

まず、youtubeの動画を観て簡単なテストをうけてみてください(◎´∀`)ノ

白シャツの選手がパスをする回数を数えてください。

黒シャツのパスは無視。

画面をしっかり見て、バウンドパスも空中で受けるパスも両方数えること。

どうでしょうか、数えられましたか?

正解は書籍紹介の下へ。

【送料無料】錯覚の科学

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価格:1,650円(税込、送料別)

ハーバード大学の俊才たちが、最先端化学実験で次々に明らかにする、あなたの記憶のウソ、認知の歪み、理解の錯覚。科学読み物。

【内容情報】(「BOOK」データベースより)
サブリミナル効果などというものは存在しない。いくらモーツァルトを聴いても、あなたの頭は良くならない。レイプ被害者は、なぜ別人を監獄送りにしたのか?脳トレを続けても、ボケは防止できない。「えひめ丸」を沈没させた潜水艦の艦長は、目では船が見えていたのに、脳が船を見ていなかった。徹底的な追試実験が、脳科学の通説を覆す。

【目次】(「BOOK」データベースより)
はじめに 思い込みと錯覚の世界へようこそ/実験1 えひめ丸はなぜ沈没したのか?-注意の錯覚/実験2 捏造された「ヒラリーの戦場体験」-記憶の錯覚/実験3 冤罪証言はこうして作られた-自信の錯覚/実験4 リーマンショックを招いた投資家の誤算-知識の錯覚/実験5 俗説、デマゴーグ、そして陰謀論-原因の錯覚/実験6 自己啓発サブリミナル効果のウソ-可能性の錯覚/おわりに 直感は信じられるのか?

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
チャブリス,クリストファー(Chabris,Christopher)
心理学者。ニューヨーク・ユニオンカレッジ教授。1966年ニューヨーク生まれ。ハーバード大学にてコンピュータ・サイエンスを専攻。チェス王者たちの認知メカニズムの研究によりPh.D.取得(心理学)。ハーバード大学医学部等で人間の認知メカニズムや神経心理学の研究を重ねる。「見えないゴリラ」の実験は人間の認知メカニズムの陥穽を鋭くえぐり出し、心理学における最重要論文のひとつとなっている。『錯覚の科学』にてイグ・ノーベル賞受賞(2004年)

シモンズ,ダニエル(Simons,Daniel)
心理学者。イリノイ大学教授。カールトン・カレッジにて認知科学を専攻後、1997年、コーネル大学にてPh.D.取得(心理学)。ハーバード大学医学部にて、人間の認識、記憶、意識の限界をテーマとした研究を重ねる。97年にハーバードでチャブリスと出会い、「見えないゴリラ」実験の共同研究者となる。イグ・ノーベル賞受賞(2004年)。2人の研究成果は、米国の人気ドラマ「CSI:科学捜査班」にもたびたび使われている

正解は15回です。

そして回数よりも大事なのは、ゴリラが選手の間に入り込み、胸を叩き、そのまま立ち去ったのに気づきましたか?
約半数の人が、ゴリラに気づきません。

本書では、6つの錯覚について述べられています。

1.「注意の錯覚」 

上記ゴリラの実験のように、目は向けていても見落としてしまう。たとえば運転中の携帯も同様。ハンズフリーでも危険の度合いはあまりかわらないこと、運転中の携帯が飲酒運転と同程度危険なことに驚愕。運転中の携帯、もっと罰則厳しくしてもいいんじゃないかと(@Д@;

2.「記憶の錯覚」

わたしたちは自分が体験したことを鮮明かつ正確に記憶できると思っているが、実は記憶は歪むことが多い

3.「自信の錯覚」

自信ありげな態度を、相手の知識や能力のあらわれとして反射的に受け入れてしまう

4.「知識の錯覚」

自分の知識の限界を自覚せず、見慣れたものについては十分知識を持っていると錯覚する

5.「原因の錯覚」

偶然同時に起きた二つのことに因果関係があると思いこむ。たとえば「寒い雨の日に関節炎が痛む」「家事をすると乳がんにならない」など。

6.「可能性の錯覚」

自分の中に眠っている大きな能力を簡単な方法で解き放つことができると思いこむ。たとえば脳トレ。たとえばモーツァルト効果。この錯覚を利用した知育系のグッズはかなり多いですね。まんまと思うつぼにはまらないようにしないと(;´▽`A``

 『錯覚の科学』が翻訳ものでしかも科学の本であるにもかかわらず、私がきちんと読み切れたのは、あとがきにもある通り有名な事件、流行っているもの、身近なものが例として挙げられている点が大きかった。「雨の日にはリウマチが痛む」「脳トレソフトで認知能力アップ」「サブリミナル効果で売上増加」などなど。

 自分は錯覚なんてしないわ、この本を読んで学習したから。という気でいましたが、「人の視線を感じることがあるのは錯覚」という指摘に納得できず、自分の偏見のこびりつきかたを逆に実感。だって誰にでも普通にあるよね?でも、実験した結果、それは何十回のうちのたまたま一回で、そんな能力はないんだって。って言われると、たしかにたまたまなのかなと思うようになりました。

 後日、香山リカ著『「むくわれない生き方」を変える本』で、自分だけがなんでこんなについていないんだ、と思うことがあっても、ついていたり普通だったりしたことは忘れて、たまたまついていなかった一回だけをとりあげたのかもしれないと考えて見てはどうだろうと述べていた。これって視線の錯覚と同じ理屈。世界の物事はなにごともつながっているのかも・・・ってこれも錯覚?